Translation result.

「人生遍歴」――すべての退職者に贈る言葉
「遅くても、揺れてもかまわない」 人生への慰め
パブリックタイムズ=「若いころは/たった二つ//『支配するのか/支配されるのか』//歳月と心が絡まって/複雑になった物語たち//市庁駅の改札口/居間の壁時計/仁王山の麓にかかった出来事たち//妻が痛む時間/母の葬儀のミサの時間/息子が酒を飲む時間//時間はそのままなのに//簡単に解けない/いや、死ぬまで減らない/高次方程式がいくつも/今日も向き合っている」(『時間の顔』、29ページ)と記されている。
ちょうど40年ぶりのことだ。詩人は30歳を少し過ぎて亡くなった友の足跡をつかんだ。大学時代の1986年、友人が主人公の下宿の壁に残していった詩を思い出したのだ。その痛む心を巡る涙をぎゅっと抑えた。著者はようやく初詩集の刊行を着実に整えられるようになった。
実際、作品集の序文には「詩を書き始めると、長年眠っていた文章の束の中で彼に出会った」と記している。さらに「青春時代の物語も追悼の文章とともに書かなければならないという気持ちになった」と付け加えている。
ヤン・ギョンソク(58)ソウル市議会政策顧問は1日、作品集『一人で咲いても、遅れて咲いても日差しは来る』について率直に「マッチョとして生きてきた自分自身への省察だ」と述べた。自分を許すことで世間と穏やかに交わることができるようになったとも語った。
「ある文章で見たように/自分自身に申し訳ないと/謝ってみる//瞬間のような時間の中で/60年でも600年でも/何の意味があるのか/それでも今になってよかった//よくやった、後悔は/過去に囚われることだ/未来を考えるなら/思い出として扱う/知恵が必要だ//先輩は縮んだ私の肩をたたいてくれる//そう、力を抜いて無心に歩いていけば/『最善』という友に出会うことも/『悔恨』という友と別れることも可能だし/『今』という先輩が背中を押してくれるだろう//とがったこの夜が怖くて/深いところに刃を当てるのが怖くて/妥協の包帯をもう一度巻く」(『妥協』、39ページ)と綴られている。
ヤン顧問は序文で「妻の激しい痛み以上に自分の不安症状が深刻に感じられ、それを克服する時間と過程の中で、申し訳なさと慰めという贈り物を得た」と繰り返している。続けて「社会から少し距離を置いても大丈夫だろうと思ったが、そんなに簡単ではなかった」と生活者としての苦悩も率直に綴っている。
90歳で逝った母を描く息子
法がなくても生きられた父、そして「良心」
「違うふりをしてにっこり笑い/悲しい映画にこっそり涙を流す/私たちはそうして30年を生きてきた//増えていく小言に/こなれた図太さが身について//ほどよく笑い/ほどよく泣き/そんなふうに常連のように生きる//時々ひとりを夢見て/この世に何があるのかと/気をそらすこともある//巧みな演技は/すっかり熟れて//アカデミー助演男優賞は楽勝だ/私たちは夫婦だ」(『私たちは』、61ページ)と綴られている。
ヤン顧問は大企業勤務、放送プロデューサー(PD)、公務員、政治活動、社会福祉講師、金融機関、市民団体と多彩な分野を渡り歩いてきた。この経歴については「自分の意志で選んだというより、事業の失敗の後、生き残るために続けてきた過程だった。その過程で出会った人々の人生が結局は自分自身を振り返らせ、他者への理解につながった」と述べている。
詩人が経験した多様な人生は詩集の随所に反映されており、華美な修辞より日常の言葉で共感と慰めを届ける手法が静かに貫かれている。

とりわけ退職後の生活を考える世代や社会の変化を実感している人々に向けて共感のメッセージを投げかける。「急速に変わる社会のなかで排除された人たちにささやかな応援を届けたい」という思いが込められており、例年どおり一年を力強く始め、春を迎えようという呼びかけが込められている。
「セメントの隙間に咲く一輪のタンポポ/角の陽だまりのスミレが数輪//春はいつも/低いところにまずやってくる//急いで胸がぎくっとして/人を追いかけて逃してしまった/惜しい記憶たち//応援ひとつ/安否の一言/やり取りしながら/自分のペースでとぼとぼ歩く//春の日差しは/結局僕たちを見捨てないということを//ひとりで咲いても/遅れて咲いても/私は花だ」(『一人で咲いても、遅れて咲いても』、13ページ)と詩は綴られている。
本のタイトルが示すように、たとえ一緒にいても孤独を感じることはある。しかし年を重ねるほどにそれを知り、世の中に勇気を伝えようという意志が表れている。少し遅れることは失敗ではないという視点から、各季節を生き抜いてきた読者に向けて「日差しは来る。今も、遅くても、あなたに」と夢を差し出す。
「暗闇は/光の窒息ではなく/光の欠如にすぎない//絶対的な無音が/存在しないように/暗闇の中でも/希望は生きている//真っ暗な夜に/じっと見れば見える星がある//その星が投げる/細い力が手に入れば/僕は生きていることを知る//小さくても/見えなくても/すべてを変える/残りを満たす」(『存在という希望』、35ページ)と記されている。
「バカ」を許さないという法、それが現実だ
痛む妻、社会との簡単ではない「しばしの別れ」
だがヤン顧問は母を詩の最高の主演に据える。2024年5月に90歳で逝去した母に捧げる内容は、まさに思母曲に相応しい。
「涙は平和だ/母の涙を/止めてほしいと願いを込める//残り少ない/気力と知力を//全力で涙を流させてください//最後の日には/平和だけが残り/微笑だけが残りますように」(『母のための祈り』、69ページ)と歌われている。
「人でいっぱいの地下鉄で/二人の子をぎゅっと抱く母親がいる//母もそうだっただろう/その母が今日旅立った//父のそばに連れて帰る道で/遺骨の温かさが/まだ私の膝に/蒙古斑のように残っている/幼い頃に私を抱いてくれた/ちょうどその温度/温かい涙が/再び流れる/今日/母の胸を離れてきた」(『母の体温』、73ページ)と記録されている。
作品集は四つの章に分かれている。
第1部「ドキドキする春」では、春の雨や木蓮の花、新しい季節の気配のなかで、人生の後半にも訪れるときめきと回復の可能性を描く。
第2部「人間だから、あわてても」では、個人的な後悔と省察を通じて人間の不完全さと揺らぎを自然に解きほぐす。この過程で責任と選択、そしてそれに伴う亀裂さえ人生の一部として受け入れる視点を示す。
続く第3部「灯台が照らす場所に、家族写真が置かれている」では、家族と故郷への記憶を中心に展開する。母の体温、父への恋しさ、故郷である江原道・束草の海景などが織り合わさり、読者に情緒的な深みを与える。
第4部「ギョンソク、私に生きることを」は不安の中での若き日の習作に近い詩篇を集めた章で、兵役と放浪、愛と喪失の体験が消息のように綴られている。
また、若い頃に決して軽くなかった悩みも赤裸々に示されている。
「また一度の失敗/また一度の省察//認識が変われば/世界が変わるというが//依然として変わらない世界/また失敗/また省察//思春期からついて回った/うんざりする真実の遊び//誰の腕をつかんで聞いても/答えはない//答えがないのか/認識が足りないのか」(『正解』、103ページ)と綴られている。
今回の詩集の売上の一部は、北朝鮮から来た脱北住民の定着支援に使われる予定である点が注目される。咸鏡北道京城郡出身のアン・チュングク(31)が表紙と挿絵を担当した。
ヤン顧問は今年2月に『社会問題論、社会問題と社会福祉』を刊行している。社会問題を教科書外の現実から出発させ、教室の中で解決の糸口に結びつける新しい社会問題論の教科書として、キム・ミョンラン、キム・テグン、パク・テジュンらと共同で企画したものだ。
ソン・ハンス記者 onekorea@public25.













コメント0