【ヘラルド経済=コ・スンヒ記者】 「テレパシー」という言葉は二人のためにある。二つの身体が一体になり、四つの手がまるで二つの手のように重なる。88鍵が176鍵へと拡張されると、音楽は果てしない宇宙へと開ける。言葉にしなくても、視線を交わさなくても通じ合う瞬間がある。
「ピアノデュオとは、愛し尊敬する相手とステージを共有することだ。ソロキャリアへの渇望は一度もなかった。」(ラベック姉妹)
鍵盤の上で半世紀以上にわたり共生してきたラベック・デュオが韓国を訪れる。1970年にオリヴィエ・メシアンの指揮で最初の録音を行って以来、「一つの有機体」として存在してきたカティア・ラベックとマリエル・ラベックの姉妹である。
二人の音楽的前衛性は一瞬も止まらなかった。クラシックという堅固な城壁に絶えず亀裂を入れ、新たな領域を切り開いてきた。1970年のメシアン盤以降、50年以上にわたりガーシュウィンのラグタイムからフィリップ・グラスのミニマリズム、さらにはトム・ヨークやマドンナといったポップの領域まで意図的に往還する破格の歩みを続けてきた。今回の来韓では、現代音楽の巨匠フィリップ・グラスのジャン・コクトー三部作──『オルフェ』『美女と野獣』『アンファンテリブル』──を披露する。
来韓公演を前に書面で会ったラベック姉妹は「フィリップ・グラスは現代に生きる最も偉大な作曲家であり、我々の時代の最後のロマン主義の作曲家だ」と語った。
「彼の音楽はしばしば反復的だと言われるが、実際は非常に精緻で表現力に富み、ロマンチックだ。『反復』する箇所を毎回まったく同じように弾いてはいけないという意味だ。そうすれば音楽は生き返らないからね。」(マリエル・ラベック)
姉妹がフィリップ・グラスに出会ったのは2008年のことだ。ロンドンのキングス・プレイスで開かれたミニマリズム音楽フェスティバルに招かれた際、カティアは楽譜を目にした瞬間の驚きを今も忘れられないと振り返る。「リズムが幾重にも重なり、転換が多くて演奏が難しかった」。その5年後、二人はフィリップ・グラスの「二台のピアノのための四楽章」を録音した。カティアはそれを「フィリップ・グラスの音楽に足を踏み入れた最初の一歩」と記憶している。
今回の舞台装置は特別だ。大きなピアノ二台とシャンデリアが独特の雰囲気を作り出す。「『アンファンテリブル』の寝室や『美女と野獣』の城のように、劇中の人物たちの内密な空間を再現する装置だ」とカティアは説明する。
先月パリで初演された公演を再び上演するが、同じ内容でも別の舞台となる。マリエルは「会場の音響、観客の反応、ピアノの鳴り方は毎回違う。だからすべての公演が新しい冒険になる」と語り、「音楽はインスタントコーヒーのように即席でできるものではなく、熟成するまで時間が必要だ」と強調した。
姉妹が歩んできた道そのものが驚くべき叙事だ。カティアが18歳、マリエルが16歳だった1960年代後半、保守的なパリ国立高等音楽院の学風に抗ってカティアのデュオ活動が認められた。当時、同音楽院はソリスト養成に重点を置くカリキュラムで、姉妹のデュオは室内楽として認められていなかった。しかし説得の末、音楽院史上初めて「ピアノデュオ」部門で学位が授与された。メシアンの録音が彼女たちのキャリアにとって重要な第一歩となり、互いの音楽を理解し合う相手と「一緒にやりたい」という思いが運命共同体を形作った。
二人の完璧な呼吸は、逆説的に「違い」から生まれている。マリエルが低音域でしっかりとした打鍵を担当する一方、カティアは高音域で華やかな技巧を好む。各々の独立した個を保つパートナーシップだ。カティアは「時に激しい議論が起きることもあるが、緊張感こそが意味ある芸術を生む唯一の方法だ」と言い、「対照は必要であり、二つの存在が互いを壊さずにバランスを取ることだ」と続ける。マリエルは「私たちの違いがデュオを長く続けさせる原動力だ」と語る。
「私はカティアのように弾こうとしたことはなく、彼女も私のように弾こうとはしなかった。舞台でも私生活でも私たちは非常に異なる。異なる二つの個性が同時に現れるとき、ピアノデュオの音楽はより面白くなると思う。」(マリエル)
韓国の観客との再会は実に18年ぶりだ。とりわけマリエルにとって韓国は音楽的な刺激をやり取りする「共感の場」だという。彼女は「夫であるセミョン・ビチコフは昨年チェコ・フィルハーモニーとのツアー中に、韓国の観客から受けた温かい歓迎や、観客の若さと洗練さに深い感動とインスピレーションを得たと言っていた。音楽に深い理解と愛情を持つ韓国の観客と会うのを楽しみにしている」と期待を語った。













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